女優を女優たらしめるもの、それは何だろうか。演技力、個性、存在ーそれらの融合と反発を繰り返しながら、女優というのは
形成されていくのかもしれない。シャルロットゲンズブールを見る時、父セルジュゲンズブール、母ジェーンバーキンという二つ
の星の存在は最新作「アンナオズ」以降はもはや語る必要性すら失ってしまうだろう。物語にそして彼女自身に幻惑され白い
恐怖のただなかで眩暈を体験するようなこの作品は、彼女の新しい女優としての生命を決定づけた。“Il
se fait unprenom”と
いう言葉がある。ファーストネームを知らしめる、つまり親の七光りではなく個人として認知されるという意味である。彼女は
七光りではない、映画という魔の光を受けて、月の輝きを宿すのだ。
午後8時を過ぎてようやく暗くなりはじめた頃、リヴィリ通りからバスティーユ広場を振り返ると東の空にぽっかり満月が浮かん
でいた。少し青ざめた月は街の美しさを際立たせていた。ホテルに戻ってファックスが届いているか訊いたが何も来ていなかっ
た。シャルロットとは明日無事に会えるようだ。取材を申し込んだのは四月の初めだった。返事は「撮影はしないでほしい」と
いうものだった。彼女は妊娠していた。それも5月に出産を控え、「顔にクマや吹き出物が目立つから撮られたくない」とのこと
だった。ではインタビューに2時間は割いてゆっくり近況を聞こうと思った。それも「撮影がないのだから1時間で」という返事が
きた。そして日ごとに彼女の条件は厳しくなっていった。「質問はアンナオズについてのみにすること、カメラマンの同席はなし」
というように。つまり彼女は妊娠をことさら大きくとりあげられるのを避けたがっている。その気持ちを理解しないわけにはいかな
かった。何より10代の頃からマスコミ嫌いを通してきた彼女が、妊娠中の身で時間を割いてくれることの方がとても重要なこと
に思えた。だから写真は昨年3月に彼女が来日した時のものを使用することにした。
新作「アンナオズ」は現実に生きる女性が夢の世界に支配されていく物語である。パリに暮らすアンナはある夜、不思議な夢を
見る。ヴェネチアの美術館で男が名画を盗む光景を目撃するのだ。水上バスの上で男は彼女に「味方になるか、敵になるか」
と囁く。目覚めるとそこはパリのアパルトマン、恋人のマルクが寝言を言うアンナの顔を覗いていた。だが夢は終わらなかった。
アンナはヴェネチアで別の生活を送るもう一人の自分の夢を見続ける。「連続物の夢は危険だ。今も夢か現実か疑ってるんだ
ろう?」アンナの友達が言う。「目覚めていればそれが現実さ。覚めない限りね」無意識の奥へ追いやられたアンナの人格の
一部が夢のアンナとなって、現実のアンナを崩壊させようとしていた。「私を存在させたあなたを、私が食いつぶしていく・・・
かわいそうに、消えるのはあなたよ」ふたりのアンナー現実に生きるごく普通のパリジェンヌと無意識下の中から生まれた女豹
のごとき悪夢の女を演じ分けたシャルロットゲンズブール。
それはあえて言うなら“女優シャルロットゲンズブール”の誕生に思えた。女優を女優たらしめるもの、それは何だろう。物語
の中である一つの名前を持った時、観客の目はある人生の断片をそこに見る。そしてある瞬間、彼女たち自身の人生がかいま
見える。演技力、個性、存在感・・・それらの融合と反発を繰り返しながら、女優というのは形成されていくのかもしれない。
七階の屋根裏のような部屋でまどろみながら、そんなことを思っていた。
翌日、パリの空は珍しく快晴だった。オデオン通りにその小さなホテルはあった。受付の女性に案内されたのは、外に面した
ガラス窓の側のテーブルに男が2人、あとは小さな机に新聞とフリーペーパーが置いてあるだけのささやかな部屋だった。
見回すと右手にビロードのカーテンが下がっていて、ガラス張りになった小部屋にシャルロットがいた。彼女はこちらに気づく
とソファから立ち上がって挨拶をした。黒いVネックのサマーセーターにGパン、はだしに履き古したオールスターの白いスニ
ーカー、髪は前に会ったときより伸びて後ろで結わいている。そして細く長い手足とは対照的にセーターのしたに大きなお腹
があった。だが何よりも驚いたのは彼女の表情そのものだった。妊娠の疲れは見られず、その顔は輝きにあふれ、やさしく、
凛としていた。
椅子を勧められて座ると、「日本からわざわざいらっしゃったの?」と彼女が訊いた。頷くと「時差ぼけは大丈夫?」とまた訊い
た。それは単なる社交辞令ではなく、彼女の気配りの一つだった。まず、映画の感想を簡単に述べ、次に監督エリックロシャン
との関係性から訪ねることにした。
エリックロシャンといえば、89年デビュー作「愛さずにいられない」がパリだけで50万人の観客動員記録を持つ監督だ。この
作品で3人目の主人公を演じたイヴァンアタルを主演に捉えて撮ったのが91年の「愛をとめないで」。遠方に住む恋人に逢う
ためにバスジャックをする情熱的な青年、そのアタルの恋人役というのがシャルロットだった。ふたりはこの共演をきっかけに
一緒に住み始めた。ロシャンは「愛をとめないで」で脇役だったシャルロットの主演作を撮りたいと思っていたらしい。それが
この4作目にあたる「アンナオズ」なのである。
彼女はまずエビアンをコップに注いで、口を潤した。「ええ、彼は前作『悲しみのスパイ』が終わってから私と一緒に仕事が
したいと思っていたみたい。私もそれを願っていた。彼は私を想定してアンナを考えたと言っていた。できあがった脚本を
読んで、二人のアンナを演じることはすごく難しいけれど、とてもエキサイティングだと直感した。でも私は普段から自分に
自信がないので、できるかどうか不安だった。ロシャンに相談すると彼は大丈夫だと私を励まし説得してくれた。それで2人で
一緒にこの人物を考えようと長い間話しあったの」
撮影中もロシャンはかなり演技指導をしたという。「このアンナという役はわたしとロシャンのコラボレーションと言ってもいい。
彼が私の中にいる、そんな感じだった」シャルロットにとって演技指導されることは決してやりにくいことではない。「役者にとっ
ては心の落ち着くこと」だと彼女は言う。例えば彼女を一躍有名にした「なまいきシャルロット」と「小さな泥棒」を撮ったクロード
ミレールは大変細かい指示を出して演技指導する人だった。そのやり方に慣れていた彼女にとって前作「ジェインエア」で監督
フランコゼッフィレリが演技指導をまったくしないのには、とても戸惑ったという。さてロシャンはというとシャルロットがアンナを
理解して演じられるようになった頃から彼女の好きなように演じさせた。「私を信用してくれたみたい。彼は譬えて言うなら私を
レールの上に置いてあとは放すというような方法をとった」
楽しい撮影だったことは映画の中の、女という性を体現するような演技でこちらに迫るシャルロットを見ていても理解できる。
むろん、それはヴェネチアのアンナを指すのだが。「ええ、ヴェネチアのアンナを演じる方が楽しかった。パリのアンナは受動的
な人物だったけど、ヴェネチアのアンナは多くを発見する悦びに満ちて、悪戯っぽさもあって、攻撃的・・・ずいぶん昔の話だか
ら間違ってるかもしれないけれど、ヴェネチアのアンナが盗品名画売買をしている男マルチェロに、手にキスをしなさいと言わ
れてするシーンがあったでしょう。私は彼のされるがままになっていた。とても官能的で・・・まったくの受身というのが難しいけ
れど、とても面白かった。好きなシーンよ」
彼女の言葉はとても率直だった。これならすんなり訊けるだろうと質問を続けた。
「ところで93年の『セメントガーデン』の公開前、一部の人が「これまで彼女は自分でコントロールした演技を見せていたので
はなく、どれほど素晴らしい演技であるにしろ、彼女自身を演じていた」と言っていたのですが?」そこまで言うと彼女は
「それには反論したいわ」と初めて口調を強めた。
「私自身は自分自身を演じていたという気はまったくない。どの役柄だって私とはずいぶん遠い性格の役で、私以外のものを
演じていたと思う」
だが自分が「アンナオズ」で感じたのは彼らの意見に基づいて言えば「彼女は初めて自分でコントロールして素晴らしい演技を
見せ、かつ自分自身を演じていたのではなかった」ということになる、それがまさに一人の女優の誕生を見た、ということになるの
だから・・・。そう伝えると彼女は「あなたが仰ったことは理解できる。確かに「アンナオズ」の場合は私の生の姿より随分かけ離
れた役だったし・・・」と答えた。
「それよりもあなたの演技の幅が大きく深くなったのだと思うけど」
「そうかもしれない」彼女は微笑んだ。そこで以前彼女が「演技のコントロールが自信を生んだ」と言っていたことを思い出した。
「自分の演技がコントロールできるようになって自分に自信がついたと言った覚えはないんだけど・・・」彼女の答えは意外だっ
た。慌てて「ジェインエアの時にそう言わなかった?」と訊くと彼女は、
「あぁ、そうね、でもそれはジェインエアに限ってのことな
の」と言った。「あの時には自信を得たのだけど、それは私のすべての活動について自信がついたという意味ではなかった。
だから自分の自信なさというのは一つの作品が終わるごとにまた現れてくるの」
彼女の思考の源は、以前彼女の手から永遠に離れることのないように思えたマルボロではなく、エビアンだった。16歳の頃から
吸っていたタバコを初めてやめた、彼女はそう言った。コップに添えられた白く長い指がアンナの鏡にそっと触れる指を、そして
その記憶がアンナの夢の世界を次々と連想させた。
シャルロットと恋人イヴァンはノルマンディ、リジューの近くに家を購入したという。これから生まれる子供と愛犬ザジと一緒に
今までどおり静かでひそやかな生活を送るだろう。次回作「LOVE etc...」では3度目の共演を果たしているというので、役者と
して彼をどう思うかと訊ねると彼女は困ったような顔をしてみせた。
「私は彼の映画はすべて好き。彼を役者として尊敬してる。だから・・・彼のことを訊かれたくないとか、言いたくないとかそういう
ことではないのよ。彼について話したら誉め言葉ばかりになってしまうんだもの」2人の関係を以前「complicite」という言葉で
語った彼女は日本語で「共犯関係」と訳されるのを知って、正しい意味を教えてくれた。
「交感、説明がいらずに互いが理解できる、そしてまた相手と自分が補足しあえる関係のことよ」約束の時間が過ぎていた。もう
少しだけ話をしたかったが、彼女の疲れた様子を見ると無理強いはできなかった。それで最後に、以前から欲しかったという
子供について聞かせてほしい、と言った。
「以前から妊娠したかったから、とても嬉しい。どういう感覚なのかを言葉に言い表すのは難しいけれど・・・」
「幸せいっぱいという感じ?」 シャルロットは微笑んで「ウィ」とだけ答えた。
太陽の光を受けて地上の夜を照らす月、その存在のあり方がシャルロットゲンズブールと重なった。闇に隠れていたいのに、
ある強烈な光を受けて漆黒の闇に存在を露にする月。だがそれは言ってはいけない言葉のように思えた。ひそやかな吐息、
夜の道しるべ、その神秘的な青い輝きは時に人を狂気に誘うから。
text by Kaoru Hori
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