フレンチロリータとして一世を風靡したシャルロット。30歳を迎えた今も、少女のように初々しいルックスはそのままだ。最愛の父の死という 悲劇を乗り越えて、女優として大きく成長した彼女は現在一児の母親でも ある。3年間の休業を経て、再び女優として活躍。 ジョンバリーと離婚したあと、ジェーンバーキンは彼女の人生において最も重要で、最も多くを共有することに なる運命的なパートナーと 出会う。18歳年上のロシア系ユダヤ人、今は亡きフランスの国民的詩人にして ミュージシャン、セルジュゲンズブールだ。映画「スローガン」 の撮影現場で、恋する男女の役を演じるというのに 2人の第一印象は最悪のものだったという。バーキンは自信満々で傲慢さを隠さないゲン ズブールに反感を 抱き、ゲンズブールはゲンズブールでロクにフランス語を話せない若いイギリス娘にイライラしていたのだという。 が、彼らは程なく付き合い始め、一緒に暮らすようになる。一度結婚に失敗したバーキンはセルジュとはあえて 籍を入れず、自由を尊重した パートナーシップを貫いた。その関係は、ジェーンがは次のパートナーの元へ走る まで13年間続くことになる。 ヘタをすれば親娘ほどの年の差がある彼らだったが、2人の間には他人の伺い知る事のできない絆-共犯関係 のようなものが存在した。 71年には娘が誕生する。セルジュ自身、最も溺愛した愛娘シャルロットである。 女優の母に、詩人でミュージシャンの父というクリエイティブ な環境で、シャルロットは男の子のように(まさに 子供の頃の写真をみると男の子みたい)元気に育って行く。シャルロットの女優としてのデビュ ーは思いのほか 早い。12歳でカトリーヌドヌーブの娘役を演じ、13歳で日本でもヒットしたクロードミレール監督の「なまいき シャルロット」の 主役を演じている。父親セルジュのメガホンで親娘共演した「シャルロットフォーエバー」(当時 シャルロットは16歳)では、近親相姦をほのめ かすシーンもあり、大きな物議を醸したが、フランス国内外に おけるシャルロットフィーバーはますますヒートしていった。エキセントリックな デカダン詩人・ゲンズブールと ロリータ美女バーキンの血をひいた少女は、ミドルティーンにして世界的アイドルの名をほしいままにしていた。 バーキンとゲンズブールのパートナーシップは81年に一応終止している。一応とかいたのは、事実上の同居を 解消しても2人の魂の交流は ゲンズブールが亡くなる日まで続くからだ。実の娘・シャルロットにとっても、セルジュ は常に近しい存在であった。しかし、二度の心臓発作、 肝臓の手術、半年の入院の果てにセルジュは91年に 他界する。享年63歳であった。 最愛の父を失ったシャルロットの心痛は周囲から見て も相当なもので、彼女自身、父の死がもらたした精神的危機は相当なものであったと語っている。傷心のまま、名称フランコゼフィレッリ監督 の映画「ジェーンエア」に 出演。スクリーンに映るシャルロットのやつれ果てた姿を見て、実母バーキンでさえ「気の毒で見ていられなか った」 と語る。 しかし、亡き父の影に胸を傷めながらもシャルロットの女優としての評価は次第に高まり、いつしかロリータ アイドル的な存在から脱皮 していった。デビュー当時の「親の七光り」的な物言いをする人もいなくなった。 母方の叔父が監督する「セメントガーデン」(93年)では、母の 死を通じて危険な愛に目覚める少女の役を 熱演、古都ベニスを舞台にしたエリックロシャン監督の幻想的作品「アンナオズ」(97年)では、 寡黙の中に 成熟した女性の妖艶さを漂わせている。「私は人間のもろい部分や裂け目のようなところが好き。非常に強い 精神を持っている 反面、ものすごくもろいところを持った人間に魅力を感じてしまう」というシャルロット。 これはまさに母親ジェーンがセルジュを讃えるときに 語った言葉と同じだ。シャルロット自身は、エリックロシャン監督の「愛をとめないで」(91年)で共演したイヴァンアタルをパートナーに選び、 26歳で一男をもうけている。 フレンチロリータの記憶がまだ新しいシャルロットも、もう今年で30歳。しかし、長く伸びた髪を無造作になび かせて、母親譲りのスレンダー なボディをキープしている写真を見る限り、その若々しさ全く失われていない。頽廃的なライフスタイルをエンジン柄も、常に精神の自由を 表現していた父セルジュと、既成の美を超えた 存在の輝きを放つ母ジェーン。その魂の結合は確かに女優シャルロットに息づいている。 Thanks to Olive!!! |