母にそっくりな物憂げな表情と、父を彷彿とさせる笑顔は10代の頃のまま。30歳となり、出産も経験した今、あらためて語る
偉大すぎる両親と、女優としてのこれから有名すぎる両親を持ってしまったことが、わたしの性格に影響を与えていることは確かですね。
もちろん両親のことは大好きですし尊敬もしているので、人から似ているといわれると、とてもうれしいです。でもその一方で、幼いときから
いつも比べられてきたせいか、コンプレックスのかたまりのような性格が備わってしまったんです。自分は何をやっても両親に比べたら半
人前だ、と。 とくに同姓である母ジェーンは、わたしにとって手本のような女性です。わたしと正反対の外交的な性格ですし、政治に対する
関心も強くて、仕事がないときはボランティアをやったり、常にアクティブで、何かをしていないと気がすまない。母が家でじっと静かに過ごし
ているところなんか、ほとんど見たことがありません。現在50代ですが、スタイルもとても美しいし、本当に綺麗だと思いますよ。
でも、だか
らといって母の真似をしようと思ったことはありません。そもそも元の作りからして、及ばないことがわかってますから(笑)。
母のコピーをするのではなく、何か自分なりのものを見つけたいと早くから模索していたような気がします。もっとも、幼いときから女優に
なろうと決めていたわけではありません。子役を始めたのは好奇心から。母に連れられて行った昼食会で、キャスティング・ディレクターの
方に見いだされ、勧められたオーディションに受かったのです。それが13歳のときのデビュー作『残火』でした。
本当にこの仕事を極めたい
と思うようになったのは『メルシー・ラ・ヴィ』という作品の後ですね。当時わたしは20歳になるところで、バカロレア(大学入学資格)を取った
後、1年ほど大好きなデッサンを勉強していたんです。でも、そろそろ自分の進路をはっきりさせなくては、両方とも疎かになってしまうと
思いました。それで女優に専念しようと決心したのです。
それでも20代前半は苦労しました。というのも、わたしはとても童顔なので、誰も
年相応には見てくれないんですね。自分よりずっと若い、すでに演じてきたような十代の役ばかりオファーされる。実際の年齢に見合った
大人の役は、やらせてもらえなかったんです。30歳になった今では逆に、若い頃しかやれない役ができなくなったのが残念だと思いますけど。
シャルロット・ゲンズブールは長い間、"永遠の反抗期"の代名詞のように語られてきた。その代表作といえば、伏し目がちな表情が多感な
思春期の心情をあり余るほどに表現していた『小さな泥棒』や、父セルジュ・ゲンズブールとの共演が話題を呼んだ『シャルロット・フォー・
エヴァー』。フランスでカルト的なロングラン・ヒットを記録した『メルシー・ラ・ヴィ』など。常に所在なげに佇む銀幕の中の彼女に、観客は
心奪われるとともに、自身の若き日を重ね合わせノスタルジーを感じとっていたのかもしれない。 そんな彼女のキャリアの転機となる一大
イベントが、出産だ。4年前、男優イヴァン・アタルとのあいだに男児をもうけた彼女は、妊娠から出産をへて、約2年間仕事を休業した。若い
女優にとってはリスキーともいえるこうした選択は、しかし、彼女に公私にわたる恵みをもたらしたようだ。当時を振り返るその横顔には、十
代の頃の吹けば飛びそうな脆さに代わって、自分の居場所をようやく見つけた充実感が滲み出ている。
もちろん、休業することに不安がなかったわけではありません。こんなに休んだらみんなに忘れられてしまうんじゃないかとか、もう二度と役
をもらえないのではないだろうか、と心配でした。でも子供はずっと欲しいと思っていたので、慎重に考えた末に決めたんです。実はわたしは
とても不器用なんですが、自分がよい母親なれるかどうかなどということはまったく考えませんでしたね。実際、いざ子育てを始めて感じたの
は、完璧な人間なんてどこにもいないし、それでも子供は育ってゆくということ。よく子供を持ったら親は責任が重くなるし、その分自然に年を
取るといいますが、わたしはまったく逆の印象を持っています。一緒に遊んでいると、まるで自分まで若返った気になるのです。
ですから、
わたしにとって子育てとは、まさに自分が童心に返り楽しむための、絶好の口実といえますね(笑)。それに、本能的にこうだと思ったことだけ
をやっている子供の率直さにも影響されます。何よりもわたしに強さを与えてくれる。子供に必要とされていると感じることが、エネルギーを
もたらしてくれるのです。
わたしにとって、仕事とプライベートな時間を両立させていくことは、とても大切なんです。仕事ばかりで家でぼーっ
とする時間がないと辛いし、逆にヒマな時間ばかりあると、つまらないことをくよくよと考えてしまう性質なので、それもよくない(笑)。バランスを
保っていくことが必要です。 母になったことが芝居に影響しているかですか? どうなんでしょう。いまだに自信がないのですが(笑)。ただ復
帰後、明らかに演技に対するアプローチが変わりました。仕事を始めたばかりの頃は、純粋に楽しいからやっていた。その後は演じる役が
どんどんドラマティックになっていったこともあって、しばらく演技における純粋な喜びというものを忘れていたんです。もちろん、面白いから
やっているわけですが、いわば"苦痛の喜び"というか、苦しまないと演じられなかったんですね。
でも復帰後、もっとシンプルな気持ちで役に臨めるようになった気はします。特に99年の『ブッシュ・ド・ノエル』のときは、演技ってこんなに楽し
いものだったのかということを再発見しましたよ。 パトリス・ルコント監督の新作『フェリックスとローラ』の場合もそうでした。監督と相手役の
フィリップ・トレトンと、三人の呼吸がとてもあって、撮影は驚くほどスムーズに進んだのです。パトリスは、役者にとって安心感を与えてくれる
監督なので、信頼して演じることができました。わたしの役柄は、悲劇的でミステリアスな部分を持つヒロインなのですが、それとは裏腹に、
わたし自身は楽しみながら距離を持って演じられました。そういう心の余裕をもつことが、演技をする上でも大切なのではないかと最近は
思います。
すでに15年以上のキャリアを持ち、天性の資質に加えて経験と余裕を身につけたシャルロットは、立派に熟練俳優と呼べるだろう。ハリウ
ッドとは異なり、30歳をこえてからのほうが役者として正当に評価される傾向があるフランスの映画界では、彼女の才能が真に評価される
のはむしろこれからなのかもしれない。ジャンヌ・モローやカトリーヌ・ドヌーヴのように、「年齢を重ねること」を受け入れ、それを恐れずにス
クリーンで表現する先輩女優たちの存在もある。そう考えると知りたくなるのが、年齢を経ることに対する彼女の思いだ。
もちろん、年を取ることは普段から考えますし、やはり怖いですよね。この職業の場合、特に。というのも、女優という仕事は年齢を重ねれば
重ねるほど、選択の幅がどうしても狭くなっていくからです。30歳からせいぜい50歳ぐらいまでがピークで、その後は、どんどん役がなくなっ
ていく。まあ、20年間続けばまだ良いほうなのかもしれませんが。(笑)
でもその一方でわたしは、うまく年を取っていきたいとも思っていま
す。カトリーヌ・ドヌーヴやジャンヌ・モローは、単に美しいだけではなく、役者として、人間として、とても魅力的ですよね。ジーナ・ローランズも、
わたしが大好きな女優のひとりですが、彼女のキャリアのなかでもっとも素晴らしい役は50代になってからのものだと思うんです。顔には年
輪や、それまでの人生の激しさなどがすべて刻印され、とてつもない魅力となって表れています。 思うに彼女も、もう少し若いときは年を
取ることを怖がっていたのではないでしょうか。時を経るにつれて、皺とか肌の衰えとか、そういうコンプレックスと戦いながら、やがてはあり
のままの自分を受け入れられるようになっていったのだと思います。そういう強さがあるからこそ、彼女にしかなしえないマジックをうみだした
んでしょうね。願わくば、わたしもそんな境地に達したいと思います。 取材のタイムリミットが近づく中、彼女の口からまだひとことも父親の
名前("両親"ではなく)が飛び出さないのがわたしは気になっていた。ちなみにセルジュ・ゲンズブールが亡くなって今年で10年。命日の
3月2日の前後には新たにアンソロジーが発売されたり、雑誌で特集記事が組まれたりと、再び盛り上がりを見せていたが、その際も
シャルロットの発言をフランスのメディアで目にすることはなかった。両親のことを尋ねられるのは、うんざりしているのを知りつつも、
最後に思いきってその話題に触れてみた。
十周忌のときは、イギリスの雑誌の取材で彼について喋りました。でもそれは、フランスに比べ向こうでは認知度が低く、少しでも彼の
音楽が知られる手助けになれば、と思ったからです。若い世代の人たちが新たに関心を持って、その音楽を熱狂的に支持しているのを
目にするのは、やはり心を動かされます。だってそれは、音楽を通して彼がいまだに現役で、忘れられていないということですから。
ただ、わたしは両親と違って内向的な性格なので、プライベートな事柄を公にするのは苦手なんです。それに父のことを語るのは、
わたしにとって過去を振り返り、ノスタルジーに浸ることを意味します。でも、わたしは常に前を向いていたい。過去と同じぐらいに現在や
未来を愛することができるように、いつも心掛けていたいのです。
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