| 間近で見るシャルロット・ゲンズブール 
        は可憐さに満ちている。どうして女優になってなったのだろうか?と、
 こちらに考えさせるほどの、育ちのよさ、繊細さを秘めている。しかし彼女は現在、主演作のオファーが
 
 殺到するフランス映画界の名女優のひとり。ただし、ヨーロッパ的なスタイルを持つ女優として、だが。
 
 シャルロットの放つオーラは、フランス版ソフィア・コッポラとも言えそうだ。
 
 父はミュージシャンの故セルジュ・ゲンズブール、母は女優で歌手のジェーン・バーキン、姉は写真家 ケイト・
 
 バリー、そして妹は自身と同じ女優のルー・ドワイヨン。家族のほぼ全員がアーティストという稀有な 状況で
 
 人生を送ってきた。でも本人はいたって冷静で、家族にスターはいない、と言う。
 
 「そんな仰々しいものじゃなかったわ。会話は映画や舞台、音楽のことばかりだったけれど、母は、私たちをスター
 
 一家の子として育てなかった。おかげで自由を奪われずにすんだの。家族はみんな、とっても仲良かったしね」
 
 けれど同時に孤独だった、とも言う。身内だけですべてが満ち足りてしまう関係は、マスコミの注目ぶりとは別に、
 
 「排他的」でさえあった。くわえて、本来のシャルロットの性格は内気で引っ込み思案。消えてしまいたいと感じる
 
 くらいの儚い完成は、現在の彼女を形成した一部だけれど、子供時代へのノスタルジーに襲われるとき、落ち着か
 
 ない憂鬱な気持ちになる。
 
 「そんなときは、子供たちが私を現実に戻してくれるのよ」
 
 家族の愛には本当に恵まれた人生だ。長年の夫イヴァン・アタルとの関係は良好だし、スキャンダルもほとんど
 
 なし。幼少時代に本人が誘拐事件の犠牲になったことを除けば、祝福された時間に満ちている。聞けば、彼女自身
 
 の名付け親はかの名優、ユル・ブリナーとか。
 
 「生まれたとき、ユルがロンドンにいたの!ブレスレットをくれたのよ、あれ、どこに行っちゃったかな」
 
 13歳でカトリーヌ・ドヌーヴと共演した「残り火」でデビューを飾った。当時のシャルロットは「成長が遅い」女の子。
 
 胸はぺちゃんこ。乳歯さえ残っていたという。しかし、映画の世界に足を踏み入れるのはとてもわくわくした経験
 
 だった。
 
 「カナダのロケのことを覚えているわ。両親も付き人もなく、たった一人でホテルに泊まったの。自立するってどう
 
 いうことか発見した気持ちだった」
 
 そこから2年後が大躍進の年。86年の「なまいきシャルロット」は、本国フランスだけでなく、フランスを遠く離れ
 
 ミニシアターブームの東京でも、ヒットを記録した。
 
 「撮影は魔法のように過ぎていった。でも映画の公開時はプロモーションのこともよくわからなかったし、周囲の
 
 ことが受け止められなかった。セザール新人賞を受賞して・・・ 辛かったのよ、誇らしいのに、スピーチはしどろ
 
 もどろで泣いてしまったの」
 
 この授賞式の前、父のセルジュ・ゲンズブールは「賞を逃しても泣くなよ!」と忠告していたそうだ。つまり彼女は
 
 忠告を守ったことになる。
 
 そんなシャルロットが女優行を強く意識し始めたのは、91年のベルトラン・ブリエ監督作「メルシー・ラ・ヴィ」。
 
 この撮影を境に、夏休みの間だけ撮影に入る女の子ではない、と感じるようになり、時を同じくして、私生活の物事
 
 がうまくいかなくなっていた。
 
 「父の死が、まだ大人になりきれていなかった私の出鼻をくじいいたの。お手上げだった。25歳になるまで、ずっと
 
 曲がり角にいるみたいにね」
 
 シャルロットを救ったのは、現パートナーのイヴァン・アタル。「彼だけが映画の世界の家族」と語る。年齢は若く、
 
 これからキャリアを築くべき時にもかかわらず、この時期はオファーを受けても気に入る作品だけしかあえて出演
 
 しなかった。「ルナティック・ラブ」や「ジェイン・エア」など、興行的にはそれらは成功せず、満たされない時期は、
 
 「ブッシュ・ド・ノエル」まで続く。
 
 「「ブッシュ〜」までは、私は受身だった。でもこの作品の撮影から、だんだんと、映画作りがどんなに面白いことか
 
 発見したの」
 
 その後に出演した夫イヴァン・アタル監督作「僕の妻はシャルロット・ゲンズブール」では、生き生きした演技を見せ
 
 新たなファンも獲得した。
 
 「子どもが一人生まれ、後ずさりするようなことはやめようと思ったの。イヴァンとの仕事はとても楽しかった。彼は
 
 私に力を与えてくれたの」
 
 ラース・フォン・トリアー監督の新作「反キリスト」の撮影を終えたばかり。ホラー映画のような演出もあるこの作品は、
 
 過激で、スプラッタ×ポルノと言っても過言ではない。セックスシーンも多く登場し「羞恥心は捨てて挑んだ」という
 
 シャルロット。今後もこうした作家性の高い、いわくある監督作を続けていくのか?それともアメリカの作品でのキャリア
 
 も視野に入れているのだろうか?
 
 「アメリカ映画でもインディペンデント系の作品にしか出たことはないの。ハリウッドで成功するために必要な妥協も
 
 執念も私には怖いわ。「ターミネーター4」の話もあったけど、受けていたら、ラースとも出会えなかったわね」
 
 
 
 
 |