シャルロット・ゲンズブールが「小さな泥棒」のキャンペーンで監督のクレード・ミレールと来日したのは、

まだ17歳の時だった。か細い、内気な少女シャルロットを守るために、まるで父親のように気をもんで

隣に座ったミレールは、シャルロットが話し出すと、「ほら、見てごらん。彼女の唇の先から、ほっと

生まれるように言葉が出てくるのを」と、シャルロットの顔を愛しげに見つめた。

シャルロットが20年振りに出したアルバムは、まさに、彼女の愛らしい唇の先から生まれた言葉で

ささやくように歌われている。

あの時から20年近く、結婚して9歳と3歳のふたりの子供の母親になり、英語を習得してアメリカ映画

に進出するようになったシャルロットなのに、あの内気さは、決して消えない傷痕のように、微笑んだ

彼女の顔をかすかに歪ませる。笑うとそうして表に出てくる彼女の内面が、他の誰にもない彼女の

魅力となっているというのに。そんな彼女の最新の声。

ーあなたの新しいアルバム5:55はいま、ヒットチャートをかけ上がっていますね。あなたのお父さん

セルジュ・ゲンズブールへのオマージュという意味も込められていますか?それにしてもなぜ

英語でなのですか?

「父とアルバムを作ったのは、13歳と16歳の時でした。最初は父の「ラブ・オン・ザ・ビート」収録の

「レモン・インセスト」をデュエットし、16歳の時には全曲の父の歌で「シャルロット・フォーエバー」を

出したのです。歌、それは父といっしょに、であり、しかも、父と一緒でのみだったのです。ですから

父が亡くなったときにはもう歌には自分の場所はないのだと思いました。歌いたいという気持ちは

しまいこまれたままでした。今回、レコーディングしたことを最近までずっと内緒にしていたくらいです。

英語で歌ったのは・・・フランス語で歌うと父ことを思い出しすぎてしまうから。英語のほうが自由に

なれるような気がし・・・」

ー”また新しい一日を始めてもいいの、この古い日がまだ生きていて、片付けられるのを拒んでいる

のに”(アルバム「5:55」より)などの詞が大人の心を持っていて素敵ですよね。

「最初は自分の詞があったけれど、結局、自分のもので残ったのは「テル・ク・チュ・エ」だけ。ジャー

ヴィス・コッカーやニール・ハノンが参加して、私はもっとダークにしてとか頼んだり、いろんな感じで

みんなが作詞に参加したって感じ」

ー映画のほうも上り坂ですね。ミシェル・ゴンドリー監督の「恋愛睡眠のすすめ」の後、トッド・ヘインズ

監督の「I'm not There」、ジェイムズ・アイヴォリー監督の「TheCity of Your Final Destination」が控え

ていますね。ゴンドリー監督はあなたのことを「特別な人だ、大人のようであり、童女のようであり、

シャイで、でも強い女性だ」と言っていますが。

「アメリカでのキャリアは私にとって、とてつもないプランかもしれない。でも、出たい映画があれば

スクーリン・テストのため、LAにだって行きます。「21グラム」の時は、ショーン・ペンと共演したくて

妊娠しているのにLAへ行って、関係者を説得しました。そこで、トッド・ヘインズ監督と逢い、ボブ・

ディランを演ずるヒース・レジャーと共演したんです。ディランは父が自分で買ってでも聴くように

と言った歌手でした。私はほんとうのハリウッド式のやり方は知りませんが、インディペンデント

の人たちの集中するやりかた、一日12時間も休まずに撮影して、あくる朝また午前4時にスタート

するというやり方が気に入っているんです。ワーカホリックではありませんが、なにかする時には、

トコトン集中してするのが好きなんです。映画は、家族の生活とは遠く離れたものですけれど、

でも私にはこれもまたとても重要なものなのです。トコトン仕事して、夢に向かって向上し、家に

帰って少しの間、いっきょにリラックスする。それが理想です」

ー芯にとても強いものを持っておられるのですね。でも、相変わらずシャイであることがとても魅

力的です。

「私はずっと内気でした。話すのは苦手。それは、私の性格なんです。でも、それが私を守って

くれた時代もありました。幼い頃、私は両親のいざこざのままに、毎年リセを転校していたことも

ありました。私はいつも突然やってくる新顔で、束の間の友情を築く生活をしていました。私は

くるくる変わる新しい環境の中で強くならなければならなかったんです。私は黙ることで強くなり

ました。両親についておもしろ半分のゴシップが耳に入ることにも耐える必要があったのです。

両親のことがもとで、校庭で喧嘩をしたこともあったわ。そのうち、私は自分に厳しく、楽観的に

なれない人間になった。それが私の生きかた。心地よくはないけれど、私は建設的な生きかた

だと思っています」

ーでもいまは、あなたにはイヴァンがいる。

「たしかに。イヴァンは、私に演劇の世界を教えてくれました。私は「小さな泥棒」や「メルシー・ラ・

ヴィ」に出演した頃から本格的に女優になろうとしたんです。ところが、そう決心した18歳から21歳

までの間、私にはこれぞと思うオファーがこなかったのです。そんな中で、私は自分に演劇の

要素がないことを感じ始め、そんな時にイヴァンに出会ったんです。彼は演劇のメソッドを持って

いました。そして、アクターズ・スタジオとか演劇の世界のワクワクするようなことを教えてくれた

んです。私はイヴァンを通して、ジャック・ニコルソン、アル・パチーノ、ロバート・デ・デニーロの

ことを知るようになりました。イヴァンとはなにかしっかりしたものを築きあげたという気がします。

でも、それが確実なものだなんて思いません。イヴァンがひと目で恋に落ち、私を捨てるかも

しれないし、その逆もあるかもしれない。人生は不確実なもの。でも、その中でも自分に正直で

いたいと思うのです」

ー母になることはあなたの人生になにか影響を与えましたか?

「母になることで、私の人生との関わりはすっかり変わりました。なによりもまず子供が第一で

それが心地よいのです。素晴らしいのは、その子供たちのおかげで、私も子供でいられるという

ことです。彼らと遊んでいると、自分も彼らと同じ年になって・・・。人は生きている間、大人と

子供の世界を行き来している、そのことを実感します。それぞれの瞬間がいりまじっていて、

大人と子供の世界の境界線が定められているわけではないように思えます」

ー何年か前、フランス映画祭で来日された時MUJI(無印良品)の洋服を買ってらした。それを

映画で着ているのを見て、あっと嬉しくなったことがあります。いまでもファッションフリークですか?

「ハハハ。ごらんになればわかるでしょう。私はファッションとは無縁の人間。ファッション・ヴィク

ティムではないし、ショーにも行かない。ショーの作品は私にはアグレッシブすぎるわ。洋服の

ためのショッピングはしないし、せいぜいニコラ・ゲスキエール(バレンシアガ)のショーに行く

くらいよ。私は普通の女の子とまったく同じ。自分に合うものを探し・・・でも、それはちょっと大変

なのよ。私はヒップはないし、脚もそんなに細くない。ユニフォームのような服を着ていたことも

あったわ。でも、ファッションの仕事をするのは楽しい。私にフェミニンを求める人はいないで

しょうから、自分自身でいられるから」

「本当のエレガンスとは、バレリーナの優雅さと努力の混じった肉体」そう語るシャルロットは、

アンドロジナス(中性的)な肉体に、素朴なジーンズとブラウスだけで、優雅の極みを表現して

みせる。35歳。シャルロットは「最近ようやく自分の姿、かたちが自分自身としっくりいくようになった」

と語る。10代の頃は、自分の姿かたちが「とてもきゅうくつに思えた」そうだ。つまり、彼女は

”少女”になるためにこれだけの年月を必要としたということだろう。人生にはこういう花の咲き方

もあるのだということを、私たちはシャルロットと通して知ることができる。そして、私たちは、”少女”

と”エレガンス”−相容れないアンビバレンツな2つの美が、シャルロットのなかで”永遠の少女”

になる瞬間に立ち会ったわけだ。



シャルロットの最近のお気に入りリスト

映画ールイス・ブニュエルの「昼顔」。この映画の持つ力を忘れてしまっていた・・・。

DVDージャック・ニコルソンの「心みだれて」。

本ーボブ・ディランの伝記。

CDートム・ヨークの初ソロアルバム「THE ERASER」。

音楽ーレディオヘッドの音楽。

女優ーメリル・ストリープ、ファニー・アルダン、エルザ・ジルベルシュタイン。

TV番組ーテレビは観ません。

ショッピングー子供たちのノート。