9月のパリ。シャルロット・ゲンズブールの姿は、至るところにあった。フランスの音楽誌「Les Inrockuptibles」

の表紙もシャルロットだ。特別にあつらえたバレンシアガのジャケットとジーンズのアンサンブルを着た

彼女、そのなびくように鮮やかなロングヘアは、快活なイギリス人モデルの母親、ジェーン・バーキン

を彷彿させる。見出しには「今日のシャルロット」というピンク色の文字が躍っている。表紙はポスター

サイズに拡大され、街角のニューススタンドの外にある展示ケースに飾られていた。「今日のシャルロット」

は金曜、土曜、日曜、月曜、火曜と、街中を毎日沸かせているのだ。6区のカフェでは、歩道沿いに席を

取ったカップルがフランス語版「ELLE」の中にあるフルカラーの見開きページを見ていた。シャルロット

の写真コラージュだ。20代の写真に赤ん坊の頃の写真、さらには、伝説的ミュージシャンの父親、

セルジュ・ゲンズブールと一緒にピアノに向かっている14歳の頃の写真もある。カップルが雑誌を閉じる

と、表紙には再びシャルロットが顔を覗かせている。私がドーフィヌ通りの小さなビストロで夕食を

取ると、店のステレオからは、シャルロットのニューアルバムからのシングル「The song that we sing」

が流れてきた。

ビストロから2ブロック先にある映画館では、ミシェル・ゴンドリー監督の「The Science Of Sleep」が上映

されている。その映画の宣伝ポスターには、主演のシャルロットとガエル・ガルシアが巨大なおもちゃの

馬にまたがっている姿が写っていた。

フランスのマスコミの大半は、女優としてのシャルロットのキャリアにあまり感心を払っていないーゴンド

リーの映画は、ヨーロッパで封切られて即に数週間が過ぎていたし、12歳の時に「Paroles et Musiques」

でカトリーヌ・ドヌーヴの娘役でデビューして以来、彼女は33作品以上の映画に出ているのだ。

その代わりマスコミは、音楽のルーツに立ち戻った彼女に大注目していた。シャルロットのニューアルバム

「5:55」は、2006年8月の末にヨーロッパでリリースされると、9月の第一週目にはフランスで5万枚を売り

上げ、チャートの第一位を獲得した。同アルバムにはエールのジャン・ブノア・ダンケルとニコラ・ゴディン、

ジャーヴィス・コッカー、ナイジェル・ゴドリッチと、錚々たる顔ぶれが参加している。パリを本拠とする

ビコーズミュージックの創設者、エマニュエル・ドゥ・ブレテルは、数年前からシャルロットにアルバムの

レコーディング話しを持ちかけていた。そんな彼の努力が実り、アルバムは今週ナンバーワンに輝き

レーベルの強力新譜となったのである。

16区のカフェでクロワッサンをかじりながら、ドゥ・ブレテルは「彼女は本当に・・・こんな感じなのに・・・」

と手をヒラヒラ揺らしながら、シックで愛くるしく軽やかな様を表すジェスチャーをすると、「それなのに

働いてばかりで休もうとしないんだ!」と叫んだ。

セルジュ・ゲンズブールは、60年代から70年代のフレンチ・ポップを牽引した天才として、英雄的な

賞賛を受けていた。彼は率直に性を語ったスムーズな自作バラードを歌い、自曲の多くで女性ヴォーカル

をフィーチャーしていた。妖しげでセクシーな声を提供していたのは、ブリジット・バルドーや、妻の

ジェーン・バーキンなど、当時のセックス・シンボルだ。セルジュは、ジャズやブラジル音楽、アフリカや

ジャマイカの音楽に影響を受けていたが、もっとも著名なシングルは、そのキッチュさが伝説となっている

「Je t'aime...Moi non plus」だ。60年代のボヘミアン的パリで、男女が愛を交わす姿を、ワセリンを塗った

カメラで遠くから撮影したような同曲は、極めて意味深な夫婦デュエットである。ストリングスとオルガンが

徐々にヴォリュームを上げてきたところで、快感に震える囁き声と、「Je vais et je veins/Entre tes reins」

というコーラスが入り込む。同曲はバチカンから非難を浴び、ヨーロッパのラジオ局の多くで検閲を受けた。

皺くちゃな顔にくわえ煙草が似合った東ヨーロッパ系のパリジャンのセルジュと、ワイルドで大きな瞳を

持った美女、バーキン(保守的で上品なご婦人方も、彼女に因んで命名されたエルメスのバーキンと

なると、激しい奪い合いを繰り広げる)。ふたりの間に生まれた子供はひとりだけ。最高にクールな両親

から生まれたひとり娘として、シャルロット・ゲンズブールは、生まれたときからパリ市民の注目を浴び

関心の的となってきたのである。

シャルロットは、ロンドン生まれのパリ育ち。歯切れの良い完璧なイギリス英語を話す。キャリアの上では

「Lemon Incest」のような父と娘のラヴ・デュエットで物議をかもし出したものの、彼女の話す英語からは

育ちのよさが窺える。同曲のビデオでは、大きな男物のボタンダウンシャツだけを身にまとった14歳のシャル

ロットがベッドに横たわりながら、上半身裸の父親の横で歌っていた。

「5:55」を作るまで、時たま出されるシングルや父親とのコラボレーションといった、シャルロットの楽曲の

ほとんど全てはセルジュが注意深く見守る中でレコーディングされていた。

「私は完全に父のコントロール下にあった。父はまるで主席指揮者のようだったわ。彼は自分の求める

ものを、細かい点まで全て把握していた。だから、私はまるで父に操られる楽器のようだったけれど、父

の喜ぶ顔を見るのが、私には何よりも嬉しかったの」

91年、セルジュ・ゲンズブールは心臓発作でこの世を去った。彼が亡くなった日は、フランス中が悲しみ

に暮れたと語る人もいるほどだ。シャルロットは、偉大なる父の功績を一生背負い続けなければならない。

恐らくこれが理由で、ミュージシャン、役者、スタイル・アイコン、そして(図らずも)興味深い人物という、

父が担っていた役割を引き継ぐ決心をするまでに、15年という歳月を要したのだろう。

「ここ10年間、(アルバムを作ろうという)気持ちはあったと思う」と語るシャルロット。

「でも、どうしていいか分からなかった。音楽の何かには惹かれていたんだけど、私はミュージシャンでは

ないし、歌詞も書かない。でも、エールと出会って、全てが現実となったわ」

数年前、エールは「Love Excepter」というシャルロット初期のシングルをリミックスした。このリミックスから

相性の良さを感じ取ったゴドリッチは、エールとシャルロットのコラボレーションを提案。それから2〜3年後

レディオヘッドのコンサート楽屋で、彼女はエールのゴディンと出合った。

「疑う余地はなかった。全てが自然の成り行きだったの」と、シャルロットはエールとの出会いについて

語っている。

生で見るシャルロットは、ひときわ長身でスリムだ。母親譲りの体系である。しかし、映像で見るほどか細い

印象はない。部屋を出るその足取りは大きくしっかりしていたし、彼女の握手はごく軽いものだったが、

その指は思ったよりも逞しかった。彼女は、自分の考えをきっちりと全て話す。また、ルーズであいまいな

言葉を意図的に多用する。そして、急き立てられたときですら、彼女には人を酔わせるような静けさがある。

「彼女は魔法のような何かを持っているんだ」とドゥ・ブレデル。

「明日こっちが殺されてもおかしくないような魔力をね」

ミーティングに、洋服のフィッティング、さらにはインタヴューが始まったある日。シャルロットの目の前にある

テーブルの上には、マルボロ・ライトの吸殻が4本入った灰皿に、空になったエスプレッソ・カップ、緑がかっ

たハーブティの入ったポットに、蓋の開いた炭酸水の大きな瓶が雑然と並んでいた。これが彼女の昼食だ。

「恋愛睡眠jのすすめ」で演じたステファニーのように、シャルロットは自信を持ちつつ、も危うい一面もある

切子ガラスのような女性だ。

「(ゴンドリーは)自分がかつて付き合ったいた恋人について話してくれたわ。すごくパーソナルな話しだった」

とシャルロットは役柄について語る。「私としては、彼の知っている人物を演じるということで、すごくプレッシ

ャーを感じた。でも、最終的には役柄を自分のものにしたわ。だって、私は彼女のことを知らないし・・・

(この経験は)まるで子供に戻って遊ぶような感じだった。楽しんで、何事も大袈裟にしちゃうの。子供って

そうやって振舞うでしょ」

シャルロットは、子供時代に取り憑かれている。子供時代の経験は、潜在意識の中でよみがえり、その記憶

は、まるで夢のような性質を持ち続ける。そんなところに惹かれるのだ。ニューアルバムを作る際、彼女は

この現実離れした景色に立ち戻った。

「私にとって重要な映画を考えてみたの。思いついたのは、幼い頃に見た映画ばかりだった。どうしてかは

わからないけど。[The wizard of oz(オズの魔法使い)」の「我が家ほど素晴らしい場所はない」や「虹の

彼方のどこかに」といった台詞が脈絡なしに浮かんできたわ。それから「Night of the hunter(狩人の夜)」

「Los olvidados(忘れられた人々)」「The shining(シャイニング)」も思い出した。どの映画もお互いに関連

してはいないけれど、作品の中には明らかに結びつきがある。例えば、孤独感とか。どの映画にも、悪夢

に近いわね。どういうわけか子供時代には、すごく恐ろしい何かがあるわ」

そしてシャルロットは、ニューアルバムで夜の雰囲気を醸し出した。出発点は、午前5時55分。薄明かりに

洗われたばかりの街路。人影はない。眠れない夜を過ごした人々は、孤独の世界へと導かれていく。

アルバムを通して、ダンケルとゴディンは壮大で浮世離れしたサウンドスケープを作り上げる。そのサウ

ンドは、シャルロットの哀愁を帯びた透明なヴォーカルの下で浮遊し、またその声を包み込む。

ダンケルはこう語る。「お互いに自然と理解してたんだ。でも、孤独感についてはあまり語り合わなかった。

というのも、それを話してしまうと、街でノイローゼになってしまいそうだったからね」

シャルロットの強い主張により、アルバム中の歌詞のほとんどは英語で書かれた。

「私は誰よりも先に、自分のやること全てを(父親)と比べてしまう。フランス語の歌詞は、彼が作ったもの

には敵うはずがないのよ」と彼女は語る。

シャルロットとエールは歌詞を書こうとしたものの、ダンケルによると「本当に大変だった。というのも、シャル

ロットは女性で、俺たちは男性だろ。俺たちが愛について語るということは、女性について語るということに

なってしまうからね」

散発的なレコーディングを2〜3ヶ月続けた後、ジャーヴィス・コッカーが「ドアを叩いた」とドゥ・ブレテルは

語ると、こう付け加えた。「私は偶然を信じる。大きな偶然をね」

こうして、コッカー、ダンケル、ゴディン、そしてゴドリッチと共に曲を書き、アルバムの完成に励んだシャル

ロット。仕上げにはフェラ・クティの伝説的ドラマーであるトニー・アレンを招き、ベックの父親のデヴィッド

キャンベルにストリング・アレンジを任せた。

サウンドの質自体が素晴らしいのはもちろんだが、アルバムの核となっているのは、ファースト・シングル

「The song we sing」だ。前後には雰囲気のある奔放なトラックが並んでいるが、これらの楽曲とは違って

同曲には骨っぽさがある。作られた雰囲気ではなく歌になっているのだ。シャルロットのヴォーカルは

彷徨いながらエールの作る濃霧の中に消えていきそうな趣があるが、この曲では、ストリングスが力

強くなり始め、その後弱まると、コーラスに入るまでに再び力強さを増す。曲が進むにつれて数々の要素

が築き上げられ、セルジュのようなマイナー・キーで最高潮を迎えるが、批判的態度が表現されている

のに、サウンドが力強いため、楽しげに聞こえてくる。

これはシャルロット自身がマエストロのように聞こえるという珍しい楽曲だ。またアルバムで初めて

彼女は反抗的とも思えるような態度を取っている。

「私が歌う曲の数々/意味があるのかしら/私が歌いかけている人たちにとって/あなた方のような人たち

にとって」

しかし、「5:55」の歌詞には明らかに自伝的要素があるものの、シャルロットは感情を切り離して歌っている。

その様子は、まるでマグリットが描いた顔のない人物のようでもあるし、覆われた顔に隠された表情のよう

でもある。それはまた、完全に形を整えることなく天空に消えてしまう歌詞のようでもある。

「AF607105」で飛行機に搭乗したシャルロットは「キャビンが燃えている/私は微笑み、満たされた気分に

なる/見知らぬ人々の中/27000フィートの上空で」と歌うが、その声にはほとんど切迫感もなければ

拠り所もなく、脈拍が速まるような高揚感もない。おそらく「5:55」は実存主義的アルバムなのだろう。

人間の孤独について優美に黙想しているのだ。精巧に奏でられるアレンジとコーラスは、波が引くように

聴く者を彼方まで連れ去り、海上を独り漂流している気分にさせる。

ダンケルは的を射てはいるものの、はからずも暗いたとえを使って同作品を表現している。

「これは、今はなきコンコルドのようなもの。イギリスの優美なデザインに、フランスの詩的情緒が内臓

されているんだ」

近頃のシャルロットはほとんど話す時間もないほどに忙しい。金曜日はヴェネチアへ行き、エマニュエル・

クリアレーゼが監督し、彼女自身が主演した「Nuovomonde」のプレミアに出席。2週間後にはトッド・

ヘインズが監督を務めるボブ・ディランについての映画「I'm not there」の撮影が始まる。その後は、あの

ジェイムズ・アイヴォリー監督作「The city of your final distination」を撮影予定だ。

アルバムのアメリカ発売は207年初頭になるが、それにあわせてツアーをするという噂がある。つまり、この

冬の間のどこかでリハーサルもやるというわけだ。また、彼女はニューヨークへ引越しの最中でもある。

移住に伴うストレスや問題も経験するだろう。こうしてシャルロットは、アート・ディレクターやマネージャー

らに付き添われ、タクシーであちこち飛び回っている。パリにいるのに、彼女ともう話すことも、会うことも

できないとは残念だ。パリのあちこちで、彼女の写真が躍っている。それを見ると、彼女がいかに儚い

存在かを思い出し、歯がゆい気持ちになる。

街角の看板やカフェ、ニューススタンドで彼女の姿は拝めるというのに、実物には会えないのだ。

ドゥ・ブレテルはこう語っている。

「彼女にとってパリは小さすぎるのさ。私たちがいようがいまいが、あの娘はスーパースターになる。彼女

は非常に魅力的だ。お金も名声も必要としていない。代々サーカスを続ける家族のように、彼女は生まれ

ながらにして、エンタテイナーとしての資質を兼ね備えているんだよ」