シャルロット・ゲンズブールには、どこか型にはまらない、むきだしの野生そのものといった風情がある。

スレンダーで長い脚にはスリムなグレーのジーンズ。シックなカーディガンをはおり、ケイト・モス風の大

きな黒いサングラスをかけた彼女は、近寄りがたいクールな雰囲気を 周囲に発散させている。

ところが、その素顔は、驚くほどエレガントで傷つきやすい少女そのもの。インタビューで会うと誰もがその

落差に驚かされる。

「そうなのよ」と、シャルロットは言う。

「ジャーナリストとのインタビューでは、なるべく殻に閉じこもらず、心の内を話そうとするんだけど、なかな

か難しいわね。結局後で後悔するのよね」

ただ、そんなゆれる感性や、エキセントリックな少女性が、今回、シャルロットの20年ぶりとなった魅惑的

な新アルバムを生み出す源になったのは確かだ。

14歳のとき、伝説的な父親・セルジュ・ゲンズブールが彼女に捧げたアルバム「シャルロット・フォーエバー」

が発表された。その後も、シャルロットの次回作についてはレコード会社との間で企画が持ち上がっては

頓挫するということの繰り返しだった。さまざまな紆余曲折があった後ついにこの秋、待望のアルバムが

完成。タイトルは「5:55」。パリの静かなスタジオにこもり、1年がかりでじっくりと製作された。全曲ほとんどを

英語で歌うシャルロットの声は、以前よりずっと自信に溢れ、魅力的であり、今年38歳になった彼女の成長

ぶりが存分にうかがえる。

ー20年ぶりの歳月を経て、なぜ再び歌おうと決心したのですか?

「音楽には前から惹かれていたんだけど、それを正直に認めるまで、ずいぶん時間がかかってしまった。

たぶん、なくなった父とのことがひっかかっていたからだと思う」

ーあなたとお父さんのセルジュ・ゲンズブールとは、特別な絆がありましたからね。

「ええ。そのせいもあって、なかなか、他の人と仕事しようという気になれなかったの」

ー今回のアルバムの作曲をした、エールとの出会いのきっかけは?

「たまたま、レディオヘッドのコンサートで会ったの。エールは「The virgin suicides」のアルバムを聴いた

とたんに好きになってしまった。それでずっと彼らのことを考えていたら、向こうも同じころ私のことを考え

ていたらしく、ぜひ一度会いましょうということになって。自分が作詞をした曲もふくめて、このアルバムは、

とても個人的な仕上がりになっているわ」

ー確かに、音楽面にはゲンズブール的な面を感じさせますよね。

「もちろん。父の影響は大きかったし、それは秘密でも何でもないわ。ただ、フランス語の歌は避けたかっ

た。父の歌詞を思い出させるから。英語だともっと自由になれるでしょう?」

ー久しぶりに歌うのは大変だったのでは?

「最初のうちは声が震えてしまって。マイクにもまわりの人にも、とにかく気後れしてしまったわ。他にも

不安材料があった。監督がいないことよ。最初はプロデューサーのナイジェルが指示してくれると思って

いたの。ところが彼は「自分でやれよ。自分のアルバムだろ」って、にべもないの!厳しい言葉だったけど、

今ではとても感謝してる。おかげで自分の声で歌えたから。もう無我夢中でやったという感じね」

ー貴重な経験になりましたね。

「不安なときもあったけど、最後には、満足のいく結果が出せたと思う。映画の撮影でも同じ。行ったリ

来たり、悩んでばかり。今ではそれが私のやり方だと自分に言い聞かせてるわ。私という人間は、迷い

の塊なのよ」

ーところで、あなたとお父さんのCD[シャルロット・フォーエバー」をどう受け止めていますか?

「レモン・インセスト」という歌は大好きよ。きれいな曲だし、父と私の声があっていると思う。残念だと思

っていることもあるわ。まだ幼かったからせっかくの父との仕事を、冷静に生かせていない。深刻に歌い

すぎていると思う。16歳のころには、一時期、自分の写真をたくさん撮ったりして、ひどい劣等感に陥っ

ていたのよ」

ーどんな劣等感ですか?

「肉体的なものね。あまり女らしくなくて、いわば、私は一族の醜いあひるの子だったから。まわりはみ

んな美男美女でしょ。母も、叔母のバンブーも。今では少しは乗り越えられたわ」

今でも、お父さんを思い出すのは辛いですか?

「ええ、まだ辛いわ。父の声を聞いたり、ディスクを聴くのはとても辛いのよ。大切な人の声って、とても

生々しくて、曲が終わると、一気に現実がのしかかってくる。父の話も毎日のようにみみにするわ。タクシ

ーの運転手、街で会う人、みんなが父や母について、優しい言葉をかけてくれる。それを嫌な顔をせず、

涙も流さずに聴かなければならない。それでも15年で免疫ができ、身を守る術を学んだわ。映画だと

父を思い出すことはなかった。当然よね。だって私と父は、別なところで繋がっているのだから。そう、

父は私にとって「音楽への扉」だったのね」

ーご主人で俳優・監督も努めるイヴァン・アタル氏は今回のアルバムを聴いてくれましたか?

「ええ。それに、ずっと支えてくれた。私はいつも彼の意見を尊重しているの。客観的な見方をくれるし、

批判的にもなれる人だから」

ーあなたはときどき自分のもろさを前面に出しますが、実生活はむしろ安定しているのでは?

「そう思うわ。家族は仕事をするためによりかかる、松葉杖のようなものね」

ーまたイヴァンと二人で、3本目の映画を撮る予定は?

「撮りたいわね。でも、彼にはいくつも企画があるの。私が出るものもあるし、出ないものもある。恋も仕

事も、これが永遠に続いてほしい、彼が自分を差し置いて他の人と仕事をするなんてありえない、と思い

がち。ところが、それがあるのよね(笑)」

ー母親になったことも、強くなるきっかけになりましたか?

「まさに一瞬で現実に目が覚めたというか、生きる喜びに目覚めたわ。ばかげてるかもしれなけど、あ

れは正に啓示そのものね。私が大人になれたのは、赤ちゃんを抱けたおかげ。文字通り、何かがぱっ

と開けたの」

ー出産の日が人生最良の日、というわけですね?

「いちばん強烈だったわ。あれだけ高く舞い上がるなんて、もう不可能よ。出産の様子を録画してもらっ

てあったので、見直してみたの。記憶では、もっと強烈で騒々しいものだったけど、とても静かだった」

ー撮影の間、子供たちはどうしているのですか?

「それが最近の悩みの種。あの子(9歳のベン)が小さかったときは気軽に撮影で連れまわしていたわ。

ただ、学校に通うようになったら深刻な問題になったの。親の勝手で子供を長いロケ地に連れて行くか

どうかは、本当に悩みの種ね。最終的には、本人の慣れた環境にいるのがいちばん、という結論に達

したけど」

ー最後の質問です。ご両親からはどんなところを受け継いでいると思いますか?

「似ているところはたくさんあるわ。でも最近はそれを自分なりのものにしたいと思うようになった。実際、

あの二人の娘だということはとても恵まれたことよ。私は二人をとても尊敬しているから。でも、その一方

ですごく重荷に感じるときもある。このアルバムは、両親との関係を振り返るいいきっかけになったわ。と

ても不思議ね。二人のことを話すのがとても楽しい日もあるし、負担に思う日もある。でも、そこを自分で

乗り越えなければならないのよね。