以前フランスのインタビュアーがシャルロットゲンズブールに訊ねたことがある。もし女優を辞めたとしたら

映画界が恋しくなるのだろうか、と。「言えない」それがそのときのシャルロットの返事だった。

「答えはわかっ
てるけど、言いたくないの」

このような用心深い考え方のせいで、彼女は弱冠21歳にして既に慎重さについ
ては確固たる評判を手に

入れている。

「彼女は流暢に話すのが得意ではない」とフランスの雑誌は彼女の
貴重ながら乏しい内容のインタビュー

をその前文で認めている。「彼女の沈黙に耳を傾けなければいけない。
彼女の表情を探り、とんでもない

寡黙さの意味を読み取らなくてはいけない」というマルセルマルソーの
パントマイムショーの解説のような

記事の中で不満そうに述べられている。

「だがそれを紙面で伝えるのは
容易なことではない」シャルロットの口の重さはフランスのマスコミ相手に

限ったことではない。シャルロット
の叔父で映画監督のアンドリューバーキンは言う。「単に、これほど内に

こもる俳優に会ったのが初めて
だってだけじゃない。初めてなのは事実だけどね。でもそれ以上に普段の

生活の中でもあれだけ内にこもっ
てる人間には出会ったことがないんだ。シャルロットに近づきすぎるとい

けない場所に踏み込んだような気持
ちになる。彼女の母親さえもそう言っていたよ」パリのどこかにある彼

女のアパート(正確な場所は明かさない
約束になっている。誰と住んでいるかもー誰かと住んでいるとして

だが)に着くと、シャルロットは中庭でイン
グリッシュブルテリアの子犬の訓練をしていた。

彼女は視線が合うのを避け、顔を隠そうとするかのように前髪
を垂らし、絶えず煙草をふかしている。そし

て彼女はその素晴らしい映画のキャリアにはとてもそぐわないよう
な面を見せる。謙遜、恥じらい、自己卑下。

下唇を尖らせた顔つきは残酷な質問をされて涙が出てきたときに
いつも備えているかのようだ。このシャル

ロットが12歳にしてカトリーヌドヌーブと共演した女優とはとても信じ
がたい。その3年後彼女はクロード

ミレール監督の「なまいきシャルロット」に主演、セザール新人女優賞を受
賞した。91年のベルトランブリエ

監督の異色作「メルシーラヴィ」ではジェラールドパルドゥーなどそうそうたる
キャストの中、むすっとして

生意気な彼女が群を抜いて光っていた。既にフランスでは同世代の映画女優の中
で傑出した存在となっ

ているが、彼女はこのほど初のイギリス映画を完成させた。
成功に次ぐ成功もインタビューというものを受

け入れるきっかけにはならなかったようである。今回のインタビュ
ー前に僕の留守番電話に残っていた、

ためらうような、ほとんど聞き取れないほどのメッセージは銃を向けら
れた子供が話しているような感じだっ

た。僕はそれを彼女が英語を話しているせいだと思った。口ごもりがち
な、しかしフランスなまりのない英語。

だが、「映画だからじゃないよ」ととあるフランス人ジャーナリストから
言われた。「それが彼女の話し方なんだ」

「私いつもインタビュアーを困らせているみたい」というシャルロットはフランス語を話していてもほとんど自身

が増さないようだ。「でも私の仕事は映画を作ることで、マスコミの人にあうことじゃない。私にはゴシップの

話題なんかないし、それに誰が誰と一緒にいるとか、誰が何をしているとかって、マスコミには知る権利は

ない
と思う。たとえば私は男性の話はしたくない。大騒ぎされるような結婚をして、私生活を喜んで話す人

もいる
けど。私はそういう人間じゃないの」


シャルロットは60年代パリに一大スキャンダルを巻き起こしたカップルの娘である。母親はイギリスの女

優ジェーンバーキン。フランスで映画スターとしてまた歌手として名声を確立する前は「ナック」「欲望」等

の映画に出ていた。そして父親はシンガーソングライターでアル中のセルジュゲンズブール。2年前肝臓

癌手術の後に死んだセルジュはイギリスでは「ジュテーム」の歌い手として有名である。熱く囁くような彼

のナンバーワンヒットは69年リリースされると同時にBBCとバチカンから禁止される。だがパスティス(ア

ニスの香りをつけたお酒)とシャンペン、フィルターなしの煙草を活力源とした彼のキャリアはフランスでは

輝かしいものとなった。彼はティーンネイジャーのガレージバンドからフランス大統領に至る幅広い支持者

から賞賛されたのである。シャルロットの居間に置かれたピアノの上には額がかかっていた。その中には

ノートからちぎったらしい紙が入っていて、6歳の子供のぎこちない字で走り書きがしてある。

彼女がはじめておぼろげながら名声というものを認めたしるしだ。「ジェーンベルセーンは私のお母さん、

セルジュは私のお父さん」セルジュはインタビューとなると遠慮腹蔵なく喋り、そのテレビでの態度は伝説

にまでなっている。右翼の軍人が関わる討論番組でコンドームを膨らませ、直接税が高すぎるという講義

のアピールに500フランを燃やす。さらにプライムタイム枠のトークショーでホイットニーヒューストンに

対し、あまりに露骨すぎる言葉を英語で口にした(「彼女とファックしたい」と言ったのである)。この出来事

のあと、彼はテレビの生放送から閉め出される。73年に最初の心臓発作を起こすが、セルジュは担架で

運ばれるときに救護員から差し出された毛布を断った。色がよくないというのが理由である。「毛布は赤と

オレンジだったの。彼はひょっとしたら外にカメラマンがいるかもしれないって思ったのね」ジェーンバーキ

ンは言う。

「セルジュはカシミアの毛布を持ってこさせたわ。とにかく雑誌に載りたくてしょうがなかった人なの。いい

記事だろうと悪い記事だろうと。彼はよく言っていたわ「でもカバーストーリ−だよ!」って。とんでもない

暴露記事になるって自分でもわかってもよ。彼はいつでもすべての新聞を買ってた。もしかすると自分が

そのうちのどれかに載ってるかもしれないから。私がある雑誌を訴えたら、彼ぎょっとしてたわ」


だがシャルロットはーまるでゲンズブール家の名誉を回復するというただならぬ仕事を自分だけでやり

遂げたいとでもいうようにーほとんど存在しないかのごとく世間に姿を見せない。そして一度ならずフラン

スの私法のおかげを被っている。何年か前、彼女の弁護士たちはある雑誌に対し法律的な借地に出よう

とした。その雑誌はシャルロットのボーイフレンドの若い人気俳優イヴァンアタルと一緒の部屋にいる写真

を載せたのである。「あの子はパリマッチも訴えたのよ」とジェーンバーキンは脅すように言った。「あの子

が私のことをマメールじゃなくてママンと呼んだことがあるからですって。だからあなたも気をつけた方が

いいわ」 シャルロットは愛想よく話すが、ときどく「個人的すぎる」といって話題を避ける。他の人の映画に

ついての意見を訊く程度ならまったく問題はないと思うが、そんな話題でも彼女は退屈と言ってもいいくら

いに 用心深い。これは残念なことだ。なぜなら彼女の早咲きのキャリアを支える特徴は厳しく賢い判断と

いう驚くべき能力にあるからだ。彼女は何本もの脚本を断っている。そしてベルトランブリエ、クロードミレ

ール、パオロ&ヴィットリオタヴァーニといった非常に才能のある監督としか仕事をしていない。仕事を離

れた映画ファンとしては、彼女はなんでも好きだという。

「ターミネーター2」のどこが一番おもしろかったの?

「そうね、確かにそれほどよくなかった。でもあの映画が好きな人はたくさんいるでしょ」とシャルロット。

「だからあの映画が作られたのはいいことなの。大勢の人が好きだっていうものには何か価値があるはず。

くだらないなんて言っちゃいけない」こういう言葉とシャルロットが実際に考えていることとが一致すると思う

のはあまりにもうぶすぎるというものだろう。その注意深い言葉が実際に記事になったときには彼女自身

でさえそのおもしろみのないパーソナリティに苛立ちを感じるらしい。「いつでも同じ書き方をされる」と彼女

は不満そうに言う。

「確かに私は無口かもしれない。なかなか人に打ち解けられないの。防衛本能みたいなものがだんだん

できてきちゃったのね。でも私だってみんなと同じようにかっとなることもある。他の人とどこも違わない

のよ」

シャルロットのために言っておくと、彼女は生まれてからわずか数年の間に後々までその名前が人の記憶

に残るほど世間で騒がれたのである。

71年チェルシーで生まれた瞬間から彼女の成長のひとこまひとこまが世間の目にさらされた。生まれたば

かりの赤ん坊の写真を撮ったのは名付け親のユルブリナー。ジェーンバーキンがお産に苦しんでいるとき、

未来の父親は通りの向かいのバーにいた。「お店にある全部のお酒を順番に飲んでたの。あの子が生まれ

たときはベロンベロンだった」とジェーン言う。15歳のとき、シャルロットは世界的なニュースの中心人物に

なる。彼女を誘拐する計画があったのだ。カルチェラタンで銃撃戦になり、上流階級の学生グループが

逮捕された。誘拐計画は最初の段階で失敗したとはいえ、こんなことがあれば彼女は普段の生活でも警

戒するようになるのではないだろうか。

「実を言うと、何よりおもしろかったの」とシャルロット。「怖くはなかった。もしほんとに誘拐されてたらそん

なこと言えないだろうけど。でも外に出ることは全然心配してない。パリを歩き回ってても嫌な目にあうこ

ともないわ。みんなすごく親切にしてくれる」

シャルロットは9歳まで両親のもとで暮らした。バーキンの前の夫で作曲家のジョンバリーとの間に生ま

れた娘、ケイトも一緒だった。学生生活でも有名な両親の行動は彼女に影響を及ぼした。

「父がテレビでお札を燃やしたでしょ。私の覚えている限り父はその結果何の被害も被らなかった。でも

私は被ったの。あの夜は自分の部屋で勉強してた。私1年生だったの。覚えてるわ。広い部屋にずっと

年上の女の子たちといたの。私が宿題を終えると、みんながノートをひったくって燃やしちゃったのよ」 

シャルロットは自分から望み、スイスの寄宿学校へ転校した。

「学校のみんなはあの子に辛くあたったみたい。たぶんそのせいであの子は自分の殻に閉じこもるよう

になったんだと思うの。ご存知の通り、シャルロットはもともとよく喋る方じゃないでしょ。自分の受けた辛

い仕打ちをみんな心の中にしまってしまう。よくわからない子って学校で思われたらますますいじめられ

るようになるんでしょうけど」

ジェーンはセルジュと離婚したあと、子供と一緒にフランスの映画監督ジャックドワイヨンと暮らし始める。

そしてシャルロットは初めておそるおそる映画の道に足を踏み入れることになる。

「子供の頃は夢なんかなんにも持ってなかった。ほんとおかしなものよね。絶対俳優になろうって思って

る人たちにたくさん会ってたのに。私の場合は偶然だったの」「ジャックは自分の映画で子供を使ったこと

があるの」とジェーン。

「そのときシャルロットがなんとなく興味を示したように見えたわ。はっきりとはわからなかった。あの子は

すごく内気で、あんまり話さないから。それから「残り火」っていう映画でカトリーヌドヌーブと共演する女の

子を探してるって話を聞いたの。私急いで家に帰って、キッチンのテーブルにメモを残しておいた。後にな

ってあの子がいなくなってた。メモも消えてね」 彼女を一躍有名にしたのは、ミレール監督の85年の作

品「なまいきシャルロット」だ。この映画で彼女は同い年の天才少女ピアニストに夢中になる無愛想なティ

ーンネイジャーを演じている。この映画の冒頭、シャルロットが高飛び込みの台の端で震えている姿が映る。

怖くて、みんなのように深い水の中へ飛び込む事ができないのだ。このシーンは世間を見る彼女のメタフ

ァーであり、いまだにすたれていない。

ほとんど父と会うことのなかったシャルロットは30歳近く年上のミレールを慕い、アドバイスを求めるよう

になったらしい。友人たちの言葉によれば、80年代末にはセルジュがひどく嫉妬するほどふたりは親密

になっていたという。ミレールは寄宿学校のシャルロットを訪ねた。

「彼女の信頼を得るためだ。彼女をよく知りたかった。そして彼女に僕を好きになってほしかった。そのうち

互いにすごく心が通じあって、彼女は僕が何をしたいと思ってるかぱっとわかるようになった。僕にも彼女

が考えてることがわかった」88年、ミレールはシャルロットを主役に据えて「小さな泥棒」を作る。脚本の

骨子は彼がトリュフォーから譲られたものだ。主人公は盗み癖のあるティーンネイジャーのメイドで、

30歳も年上の男性と関係を持つ。16歳でシルクのストッキングにハイヒールを履き大人びたスカート

という格好のシャルロットはエロティックな興味の対象にはちょっと遠い感じだった。シャルロットのキャリ

アにおけるもっともおもしろい面のひとつとして、この引っ込み思案に見える人物が楽々と、しかもたびた

び、挑発的で反抗的な役柄を演じているということがある。「小さな泥棒」の中で彼女は気まぐれな盗みに

傷害、不倫を犯した。それ以降放火、爆破、強制猥褻行為(メルシーラヴィ)が加わり、あらに聖人のよう

な人物を誘惑(タヴィアーニ兄弟の「太陽は夜も輝く」)。

彼女のもっとも刺激的なプロジェクトに手をつけたのは当然予想のつくところ、彼女の父だった。84年、

彼がシャルロットに歌わせた曲は「Lemon Incest」 (近親相姦)というタイトルだった。同時に作られたビ

デオではセルジュが円形ベッドに上半身裸で横たわり、そしてやはり半裸の娘が跪いて父のジーンズに

すがりつきながら、調子外れな声で歌っている。

セルジュの庇護者らは「Lemon Incest」はそもそも「Un zeste de citron」(レモンの皮という意味)という言

葉のしゃれから出たもので、彼がシンガーのフランスギャルに対していかがわしい悪ふざけをしたときの

ような気持ちはないとしている。(66年、シャルロットと同じくらいの年齢だったギャルはコンテストでセル

ジュの「Le Sucettes」という曲を歌った。二重の意味を持ったかけ言葉だらけの歌だったが、ギャルはこ

れが単純にキャンディを称える歌だと信じ込んでいた。その裏にある意味を聞かされたギャルはホテル

の部屋に閉じこもって2日間出てこなかったという)。 そうは言っても、やはり「Lemon Incest」のビデオ

は若さゆえの軽率さから出たたぐいのものに思える。おそらく忘れてしまいたいのではないだろうか。だが

シャルロットはそうは思っていない。「あれはいい思い出。あの歌の意味が全部わかっていなかったにして

も、すごくすてきな歌だと思った。イギリスの人にはあのしゃれがわからないのよ。私自身は全然嫌じゃな

かった」そのあと、彼女はまたセルジュに引っ張り出される。ショックに対する免疫がどんどん強くなってい

く世間を驚かせようとする彼は、86年近親相姦のテーマを映画に持ち込んだ。この味気ない失敗作「シャ

ルロットフォーエバー」で彼女は父親とベッドをともにすることになる。「ロリータみたいなのが必要だったん

だ。するとあの子がいるじゃないか」撮影中にシャルロットは泣き出した。「お父さんは私を裏切った」

だが、マスコミの前でこの映画について話すときにはいつもと変わらず冷静だった。

「でも「シャルロットフォーエバー」で彼女は利用されたと感じたはず」とある親しい友人は言う。

「セルジュは彼女を食い物にしたのよ。もっとも彼女は恨んではいないだろうけど。父親を理解してるから。

誰でも利用するのがあの人だもの。ただ彼女が嫌だったのはそのやり方だったんだと思う。ちょっと露骨す

ぎる」


近親相姦のテーマは最新作「セメントガーデン」でも繰り返される。これはイアンマキューアンの同名小説

を原作とするもので、監督はアンドリューバーキン。シャルロットは4人の子供のうち長女ジュリーを演じる。

母を亡くした4人はいかにもマキューアンらしい慰み、つまり死体遺棄や性倒錯、自慰といったものに耽る。

これはもちろんデートの晩にふさわしい映画とみんなから歓迎されるものではない。それにバーキンによっ

てみごとに脚色されてはいるものの、この映画がイギリスのメインストリームに達するとは思えない。とはい

え演技陣はすばらしい。特にウェリントン大学出身のアンドリューロバートソン、そして監督の息子ネッド

バーキン。だが映画を引っ張っていくのはやはりシャルロットである。

「彼女にこの役をやらせたいと思ったのは彼女の内にこもった性格のせいだ。彼女はとてもシャイだ。それ

なのに、普通の人にはやる勇気のないようなことをやってしまう。彼女には主役級の女優に見られるような

お天気やっぽいところがまったくない。かっとしたり、誰かにくってかかるようなところはみたことがないよ。

そりゃ、うろたえたり泣いたりするときはあるけどね。でも我慢という点であれだけ心の広い人と仕事をした

のはこれがはじめてだ。彼女にとって最大の問題はどういうわけだか彼女には自信がないってことだね。

絶対父親のようにはうまくできないって思ってる。絶えず自分を父親と比べてるんだ。有名人を親に持つ

子供の多くにとってそれは宿命なんだろうけど」

セルジュの俳優としてのキャリアはほとんどが「ヘラクレスの逆襲」といったタイトルからして知れそうなB級

映画出演で、しかも格別目立たない役をやっている。あるとき彼は自分の出ている映画を観客に混じって

ていたが、セルジュと気づいた観客の一人が怒って彼を外へ追い出した。それでもシャルロットにしてみ

れば
父親のやったことは「とても真似できない。

[こういうのってすごく辛い。母親に対しても同じような気持ちだわ。
ものすごく両親を尊敬しているといろいろ

困ったことが起きてくる。彼らみたいにうまくできやしないって、まず
自分に言い聞かせておかないといけない

の。確かにそんなふうに考えるのってあんまり健康的じゃないわよね。
予言を自分で現実のものにしてるみた

い。私、本当に幸せなんか絶対なれない・・・。そうやって比較するのって、
すごくよくないこと。自分を抑えつ

けてしまう。壁を作ってしまうのよ」


女優の人生は多くの面で父親にささげられた密やかな敬意の表れとして解釈できる場合がある。彼女の

場合
にもこれが当てはまると考えるのはさほど突飛ではないだろう。破壊への秘められた本能、ヘビース

モーキン
グ、そしてペットの選び方でさえーセルジュもイングリッシュブルテリアを飼っていた。彼はその犬

の不恰好な
見てくれが自分の姿に似ていると考えていたのだ。シャルロットにとって2年前の父親の死はひ

どい打撃だっ
た。彼女がいまだにその痛手から立ち直っていないのは明らかである。「セメントガーデンの

中で、家に帰って
きた彼女が母親が死んでいるのを見つけるシーンがある。そのシーンをやっているとき、

彼女が涙を流している
のがわかった。意識していたにしろ無意識だったにしろ、彼女の目にはそのベッドの

上にセルジュの身体が見え
ていたんだ。彼女がずっと求めていたもの、そして気づいたときにはちょっと遅

すぎたもの、それは父親との密
接な関係だった。彼が死んだとき、彼女は支えとなるものをいきなり奪われ

てしまった」 

セルジュが死んだ91年3月2日以降、シャルロットは一度もラジオをつけていない。

「父のレコードがかかるんじゃないか、って怖くて。それでラジオを聴くのをやめたの。たぶん何年かしたら

また聴きだすと思う。そういうことって自分がその気になったときに考えたいでしょ、人からいわれて仕方

なくじゃなくて。すごく個人的なことだから・・・。どう言ったらいいのかわからないわ。怖いのよ、私」

長い目でみたとき、今度のシャルロットの映画界でのキャリアがどのように発展していくかはーたとえ

発展していくのだとしてもー予想がつかない。

感傷的な思春期の少女をもう10年近く演じ続けてきた彼女に、もっと幅広い役柄を探り始めてもいい頃

だと期待する人もいるだろう。だが中には彼女がそういった変化を遂げるのは不可能ではないとしてもか

なり難しいと考えている人もいる。そういう意見の人たちはこれまでシャルロットは自分でコントロールした

演技を見せていたのではなく、その演技がどれほどすばらしいものであれ、本質的には自分自身を演じ

ていたのだと言う。だから彼女の女優としての最終的な見通しは確定できないままだと。だがそうは言っ

てもシャルロットは脚本に対する素晴らしい直観を持ち、現場ではすばらしい集中力と落ち着きを見せ、

そして監督たちをインスパイアする力を秘めている。だが何より、彼女のよそよそしさ、内向性がスクリーン

に出たとたんなぜか古風な神秘性とカリスマ性をもって語り始める、その不思議さである。

彼女のデビュー作を撮った監督エリーシュラキは言う。「シャルロットにはオーラがある。本当の意味で素

晴らしいスターはみんなそう。そういう人はなかなかいるものじゃない」シャルロットのオーラはこの数ヶ月

家の中に閉じ込められたままだ。彼女は犬にトイレの躾をしている。彼女は確かに元気いっぱいに飛び

跳ねるほうではないが、それにしてもこうしたものぐさは似合わない。

「映画俳優の生活っていうのにどうもなじめなくて。小さい頃は楽だった。撮影は休暇中にやっていたし、

普段は学校だから。でも今は仕事してないと私まるっきり役立たずみたいな気がする」

だがこうして家にいられるのも長くはなさそうだ。言うまでもなく「セメントガーデン」が公開されれば英語

圏の監督たちの興味を引くことになるだろうし、そうなればいくらシャルロットでも思い切ってやってみる気

になるのではないだろうか。

「メルシーラヴィ」で彼女をいささか危ない少女に仕立てたブリエ監督はこれまで我々が観てきたのは

このすばらしい若い女優の始まりにすぎないと信じて疑わない。

「あんなふうに父親を持てば、彼女が普通の人間になるはずがない。セルジュはUFOだったんだ。彼女は

火星人さ。重要なのは彼女は映画を撮ってるときは岩のように頑として一分の隙もないってことだ。シャル

ロットを無視していると危険だよ。いつか彼女は我々の目の前で爆発するんだから(笑)」


Text by Robert Chalmers